アーティストインタビューVol.12 宇賀神拓也
2022/7/1
フェイバリック参加アーティストVol.12
見る人の角度、創造力から様々な景色を呼び起こさせる独特な捉え方で切り取った作品が魅力的なフォトグラファー、宇賀神拓也。
宇賀神拓也プロフィール
1976年生まれ 東京出身
2012年より長野県朝日村に移り住み、米や野菜、味噌醤油を作りながら、村内を拠点に活動。
かたちが生み出す力を探求すべく、村内で発掘される縄文螺旋紋様の撮影も行っている。
撮影のみならず、村内に構えた暗室、アトリエでフィルム写真のプリント、額装まで一貫して作品制作を行う。
<提供作品>
ハイエナの夢1、2、3、4、5
作品のテーマは常に“仕事”の中から生まれる、
人の営みの中に見つける普遍のかけら
「東京にいた時って、学生だったこともあるけど、あまり撮りたいものがなかったんだと思うんです。いわゆるインスピレーションみたいなものがなかったり。三位一体じゃないですけど、この間、誰かが『生きる。働く。暮らす。』とか言っていて。肉体がご飯を食べて、生命活動を続けていくっていうそういう生理的なサイクルですよね。お金を稼ぐことで暮らす。そして、ちょっと一歩引きながら、例えばサッカーをしてみたり、表現活動をしてみたりして、文化的な活動を重ね塗りしてゆく。多分僕は、そういう三角形みたいな考え方がすごくしっくりきているんだと思います。」
「例えば米を作って10年になりますが、初めは畑に出て土を触ることがすごく新鮮だったんですよね。今も気持ちいいし、楽しいんだけど、僕は都会で生まれ育ってるし、最初は農業って何か自然の中に入って行くようなことと思っていたんです。でも、だいぶ違うんですよね。農業ってものすごい人工的な営みと言うか。自然環境を模したものを作って、その中で選んだ自分達に都合のいいものだけ育てていく。鶏も羊もそうだし。そういうことに気づいたんですよね。
『かがむ人』って作品があるんですが、その人工的な農をするために、屈んでる姿勢というのは実はすごく人間的というか、自然を手懐けてきた人間の象徴に思えてきて。それは自身が農業をやりながら、人の話も聞きながら、その中にどっぷり入って行って、見つけたっていうか。誰もやってないし、『あぁ、俺しか知らない世界なんだ』みたいな興奮があって。
自己主張ではもちろんないし、自己表現でもないんですよ。たまたま僕っていうカラダが見つけたテーマが、普遍的なテーマだった。普遍的なものがそこにあって、それを見てるっていうのが、面白い。その感覚が面白い。」
「自分をあまり作品の中に入れたくない感覚っていうのは、強くあるんです。そういうの全部取っ払っていって、最後に残るものを目指す。うまくいくと、それがものすごい強度がある表現だったり作品になるっていう手掛かりがあるんですよね。僕がここで、決して特別ではない、山と川に囲まれた、別に特殊な歴史を持った場所でもない“ここ”で、ニュートラルというか匿名性を持った“ここ”でやるっていうのが、取り組みたいことなんです。」
不思議を見落とさない大切さ、
自然の中のワンダーを掘り起こす
「家の近くに暗室作って、そこで結構大きなプリントもできるんです。まあそれも自分に合ってる。暗室作業がすごく好きなんです。特に大判カメラ4×5(しのご)っていって蛇腹の、あれなんかは本当にただ単に箱にレンズが付いているカメラで。真っ暗の中を光が穴を通って旅をする。行き着いたら上下左右逆さまの絵になって見える。そこになんていうかネイチャーが残っているっていうか。わからないこと、不思議なことがあるって、今の世界、すごく貴重だと思っていて。
子供って、『お母さん、なんで?なんで?』ってよく言うじゃないですか。子供のあの『なんで?なんで?』って、やっぱり彼らは自然との接点をまだすごく強く持っていて、わからないことを素直になんでだろうって思える。」
「やっぱり僕はカメラ持っていて、何か目の前のことを当たり前だなって思ったらもう終わりだと思うんです。見たことのないものも見たいんだけど、いつも見てるものをもう一回見直す。そういうことがたぶんしたい。そのときに、フィルムを使って光を閉じ込めて、で、ネガになって。
例えば2年前のネガをようやくプリントしたりすると不思議な感覚があるんです。村にある縄文遺跡で発掘してた時に撮影したネガなんですけど、今はもうその遺跡ないんですよね。上に家が建ったんです。
そこへ行くと家が建っているんだけど、暗室の中で初めて見る2年前に撮ったネガからプリントされた写真って、そのとき出てきたその土器の破片とかだったりとかするんですけど、初めて見るんだけど、過去からその時の記憶やイメージが蘇ってくるみたいな。すごい不思議な感覚で。
時間って何なんだろう?不思議だなとか。そういうワンダーみたいなことを、ひとつひとつ拾い上げていけば、結構ちっちゃい村でもいろいろ出てくる。それがずっと続いてくれたらうれしいなと思っています。」
人の営みがつくりだした街の有機的な色とかたちを、
ハイエナのように貪った『ハイエナの夢』
「あれはエチオピアのハラールという街で撮ったんですが、城壁に囲まれた街には人間が通る門、強固な鉄の門もあるんだけど、ちっこい入り口というか穴があるんですよ壁に。それは何かっていうと、ハイエナが夜になるとそこを通って中に入って行くんです。
周りにハイエナがいっぱいいるんですけど。ハイエナは夜行性で夜になると中に入ってきて、生ゴミとか食べるんです。肉屋さんとかも骨投げたりとかで。だからハイエナは人間を襲わないし、人間もハイエナ怖がっていないって言う。すごく不思議な文化というか関係があって。」
「ハイエナが夜な夜な入ってきて、肉をむさぼるんですよね。夜中歩いてた時にハイエナとかいたりするんだけど、日本からわざわざこんなとこまでカメラ持ってきて撮ってるのが不思議に思えてきて。
ハラールの壁はすごくカラフルなんですが、自分の好きな色とかかたちを描いていて、あれ、宗教的な意匠とかでは全然ないんです。ほんとにみんな好きで自分の色彩感覚、造形感覚でただやってるだけ。あの城壁の中で、そういう色やかたちが体の中から有機的に出てくるような空間に身を置いて、イメージを作り出す人間と、そういう色やかたちを追い求めてる自分をハイエナと重ね合わせちゃった訳です。貪るさまとか。だけど、ハイエナはお昼は街に入ってこないから、この色知らないんだなと思って。
その不思議な異空間が白昼夢、デイドリームみたいなそんな感覚になったんです。で『ハイエナの夢』っていうタイトルにしたんですよね。」
ハラールの街の色とかたちを切り取り、
新しい存在となった写真
それがさらに新しいかたちを生む新鮮さ
―フェイバリックとの取り組みをやってみた感想はいかがですか?
宇賀神さん
「あんまり正直、自分の写真がクッションカバーになるとか、想像もしてなかったんですけど、僕はあんまり抵抗なくて。わりとすんなり。僕、単純に手仕事とか何か伝統的なものとか消えゆくものみたいなものにな愛着とかあるんで、そこで共感って言うか。スタッフの人も結構ゆるくていい感じだし(笑)」。
「僕の写真もいろいろ遊びようがある写真だけど、結構頑張ってくれたなっていうのが印象で。こういうことを考えて撮ったんだよとか、実は現地の人も遊び心でやってるだけだから、もう一回遊び心でこう直してみて、みたいな話をさせてもらって。写真の切り方とかデザインも奔放な感じになっていって。その過程はすごく面白かったです。」
作品名:ハイエナの夢
「エチオピア、ハラル 。詩人アルチュールランボーも住んでいたこの城塞都市の内部に入り組んだ路地の壁では色と形が戯れている。
それはまるで真夜中になるとこの街を徘徊するハイエナの白昼夢のよう。」
『ハイエナの夢-1』
『ハイエナの夢-2』
『ハイエナの夢-3』
『ハイエナの夢-4』
『ハイエナの夢-5』